装苑賞1993年2月号 三宅一生先生 佐藤真樹

装苑1993年2月号 三宅一生先生選

1993年、三宅一生先生との対談

三宅一生先生

佐藤君が服を好きだということはよくわかるけれど、これは机上のデザインで終わってしまったようだね。
「うわっ、何だろう」と見る人に興味を持たせるような、もっと訴えるものが欲しかった。
衿のつまり方にしても袖の長さにしても窮屈そうで、第一印象は、かったるい服だなと思ったね。

佐藤真樹

この袖はもちろん袖として腕を通してもいいし、寒い時にはマフラーにしてもいいというつもりで長くしました。

三宅一生先生

そういった考え方が、わざわざこの服を難しくしてしまっているような気がするね。
デザイン画の感じで見ると、軽い服を目指したはずだと思うけれど・・・。
この1/10ぐらいの軽さでふわっと作ってほしかった。

佐藤真樹

最初からウールで作ろうと思っていました。
ジャージーで自分らしく作ろうと。

三宅一生先生

ウールに反対しているわけではないけれど、絵で訴えてくるものが服には全くなくなってしまったと思う。
布を垂らしただけのドレープなんて、珍しくないね。
バイアスというのも、’80年代に多くの人がやってきたことだから新しいものではないし、コーディネートのセンスなんかはすごくいいけれど、少しトレンドに流されているような気がする。

佐藤真樹

僕は洋服の全てを知っているわけはないので、自分でいろいろ新しいと思うものを探しながら作っているつもりです。

三宅一生先生

シンプルなものをやろうとするなら、一度、技術を徹底的に学んだほうがいいよ。
バイアスというのはもっときちんとしたもので、布に頼りきるものではないから。
重力を計算して、準備して作ったバイアスと、なんとなく布目をずらしたバイアスは違うよ。
絵はうまい。すごくいい雰囲気を持っていると思う。
一生懸命なのもよくわかる。
でも、自分のためだけのもので終わってしまって、見る人、着る人へのメッセージが聞こえてこないね。

 

製作時の思い出

この服を作るとき、私はとても悩みました。

この時期、イッセイミヤケはとても軽やかなコレクションを発表していました。

三宅一生先生は、軽やかな服を期待しているのがわかりました。

しかしイッセイミヤケのコレクションを見れば見るほど、私には作れそうもありません。

三宅一生先生の言う通り、私も1/10くらいの軽さで作りたかったです。

しかし「私にはこれしかできません」と開き直って、作りました。

服についての評価は、三宅一生先生のおっしゃる通りです。

イッセイミヤケのように作るには、洋裁だけを学んでも無理です。

色々な素材の加工方法を知らないと、作れません。

5週間で新しい加工方法を研究して、服を作る自信がありませんでした。

装苑編集部に服を提出するとき、服の着せ方を図示することになっていました。

A4の紙に、絵と文章で説明します。

三宅一生先生との対談で、三宅一生先生は、
「この絵はいいね。この絵の勢いを服にあらわせたらな・・・・・。」
とこのA4の紙を見ておっしゃいました。

私が落書きのように描いた絵を見て、三宅一生先生がおっしゃったのです。

「こんな絵の、どこがいいのか・・・?」と、私は本気で思いました。

私の絵の良さを一番分かっていなかったのは、私でした。

他にも山本耀司先生小池千枝先生、松田光弘先生も私の絵を褒めてくださいましたが、私が全く分かっていませんでした。

普通に義務教育を受けると、「丁寧な絵が良い絵」と思い込まされてしまいます。

先生方にデザイン画を褒めていただいたことは、私の誇りにしましょう。

三宅一生先生との対談が終わり、「もうファッションデザイナーになるのはやめよう」と本気で悩みました。

その後装苑の編集部の方に、新人ファッションデザイナーの展示会に連れて行ってもらいました。

展示会の会場で、私は新人ファッションデザイナーの方々に励ましていただきました。

その夜、文化服装学院の同級生とお酒を飲みに行き大いに飲みました。

そして私は、家に帰ってデザイン画を大量に描きました。

 

三宅一生先生の言葉

三宅一生先生が装苑賞の審査員をしていたころ、よく言っていた言葉がありました。

  1. フリー(無職)の人が作る服は、おもしろくない
  2. 若者が作る服に、若々しさがない

という、2つの言葉でした。

 

フリー(無職)の人が作る服は、おもしろくない

この言葉は、1991〜1993年くらいに装苑賞に応募した人のほとんどが言われました。

「会社や組織に属して、いろいろな人とのつながりの中で感情が溢れ、生き生きとした服になる。
フリーでやっている人は、人とのつながりがないから一人完結した服になりがち。」
的なことを、三宅一生先生は言っていたと記憶しています。

当時フリー(無職)だった人は、好きでフリーを選んだのではありません。

バブル経済が崩壊して、急激に募集人数が減らされました。

また装苑賞にのめり込むほど、アパレルメーカーへの就職は難しくなりました。

デザイナーとしての色が、どのアパレルメーカーにも合わないからです。

私の知り合いにも、フリーの人がたくさんいました。

審査員の先生に「おもしろい」と言われても、「うちにおいで」とまでは言われませんでした。

装苑賞に応募していたころ「フリーの人が作る服はおもしろくない」と言われ、私たち当時の若者だけが責められました。

しかし今思うことは、フリーの若者を受け入れる企業が必要だったのではないでしょうか。

三宅一生先生には、若者を責めるのではなくアパレル業界全体に呼びかけて欲しかったです。

若者を非難するのは、簡単です。

当時の若者は、バカで力がなかったですから。

本当に「フリーの人が作る服はおもしろくない」と思っていたなら、アパレル業界を変えて欲しかったです。

所詮、口先だけかなと思ってしまいます。

 

若者が作る服に、若々しさがない

私には、老人がいう「若々しさ」の意味がわかりませんでした。

老人が考える理想の若々しさなのか、本当の若者が持つ若々しさなのか?

本当の若者が持つ若々しには、暗い部分も負の部分もあります。

何より私は、イッセイ ミヤケの服に若々しさを感じたことがありません。

 

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